太田瀬 広子さん
- 年代:
- 40代
- 出身地:
- 山形県新庄市
- 所属:
- 芽から樹
- 現在の仕事:
- 「しきのいろどり~彩結び~」主宰
山形県新庄市の人口はおよそ3万5千人。
産業の中心は製造業と建築業です。緑豊かな美しいふるさとではあるものの、若者や女性の多くは「やりたい仕事」を求めて街を出てしまう。
そんな新庄市で「人と色の仲人」として活動する太田瀬さんは、着物を仕立てる技術と色彩診断士の知識を活かし、地元で自分らしいなりわいを実現させています。今の働き方に至るまでには、苦しいことも多かったそう。「一度壊れてしまった自分らしさを再構築した」という太田瀬さんの記録です。
「ナリワイカレッジ」に参加したとき、私は軽い引きこもりでした。
高校卒業後、地元で着物の仕立て会社に就職して20年ほど和裁士として働きました。うちでは母が洋裁を、祖母が和裁をしていたので、一点物を着る楽しさは幼少期から知っていたんです。裁縫の技術をある程度身に付けたなと感じていたあるとき、職員の給与形態が月給制から歩合制に変わるという出来事がありました。不況で呉服を買う人の数が減り、採算がとれなくなったんでしょうね。辞めていく人も多かったので、少ない人数で売り上げを立てるためには一人当たりの負担を増やすしかありません。本当はもっと一枚一枚丁寧に仕上げたい。でも、そうすると抱えている仕事が終わらない。個人として貫きたい品質と会社として進めるべき効率の間で板挟みになり、勤めて20年が経ったころ、私はすっかり燃え尽きてしまいました。
歩合制は不安定だから次は正社員になろう、と再就職先を探すもなかなか見つからず……。やっと出合えた縫製会社で希望通り正社員にはなったものの、一日中大きなプレス機を動かしているうちに徐々に体がついていかなくなり、半年後には人と話せない状態に。結局、1年未満で退職することになりました。
自分が内側からばらばらに崩れていくようでした。今まで培ってきた知識や経験がまるで「役に立たないもの」だと言われた気がしたし、他人が平然とこなす仕事やその環境に適応できないことも悲しくて。人と関わる気力を失くし家にこもっていたときに、ナリワイカレッジ開催のお知らせが届いたんです。
ビジネスを立ち上げようなんて考えはありませんでした。ただ、フルタイムで働いていないこの時間を、せっかくなら好きなことに使っちゃおうと思ったんです。仕事じゃないので納期もないし、上司もいません。何の制約もない中で自分のしたいことを考えたら、和裁士として働いていたときに勉強したパーソナルカラーのことを思い出しました。
私はずっと、赤みを帯びた自分の肌にコンプレックスがありました。そんな私のパーソナルカラーは、赤みをおさえる寒色系の夏の色。それなのに、正反対の黄色や茶系の洋服をよく着ていたんですよ。20代のときに撮影した免許証の写真には、黄土色のシャツを着た私が写っています。今見るととても恥ずかしいんですけど、自分では似合ってると思っていたんですよね。こういう勘違い、意外と多い気がします。本当に似合う色が分かると自信がつくし、一歩を踏み出す勇気も持てる。この知識で誰かの力になろう、と思いました。
現在はパーソナルカラー診断のほか、色彩診断士の知識を活かして、市内をバスで巡って四季の色を探す「色探し」のイベントを年4回開催しています。この地方は四季の移ろいがはっきりしているので、街中でさまざまな色を見つけることができて楽しいですよ。色の知識や仕立ての技術で誰かが喜んでくれる度に、私は人と関わることが苦手なんじゃない、自分に合った関わり方をしてこなかっただけなんだと気付かされます。正社員じゃなくても、みんなと同じじゃなくてもいい。思い込みから解放された今、ちゃんと自分の足で歩いているのを感じています。
取材・文:大吉紗央里